『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』ジョージ・ルーカスの世界観を壊した罪は重い【ネタバレあり・感想】

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『最後のジェダイ』監督のライアン・ジョンソンに対する感情としては、

ー全世界のスターウォーズを愛する者たちに謝罪し、即刻『最後のジェダイ』を作り直せー

という辛辣な言葉を共に、怒りをぶつけたいところだが、そこは抑えよう。

 

 

長々と批判する前に、まず良かったところを記載。

良かったシーン

ルーク・スカイウォーカー

スター・ウォーズ/ジェダイの帰還』以来、34年振りにルークを演じたマーク・ハミル。『フォースの覚醒』での、登場シーンでは、旧三部作のオビ=ワン・ケノービを演じたアレック・ギネスのような年老いた風貌に続編を作る意義と、マーク・ハミルが出演する意味を見出し、とても感動した。今作でのルークの人物造形は、マーク・ハミルは全く納得はしていないそうだが、前作のハリソン・フォード同様、スクリーンの中でおそらくベストを尽くし、存在感を示してくれたことは、それだけで価値がある。

 

ヨーダの登場

ルーク共に今作で、スターウォーズ世界に再登場したヨーダ。しかも、プリクエルのCGでのヨーダではなく、『帝国の逆襲』と『ジェダイの帰還』と同じ造形(おそらく)のパペット。ルークと共演したシーンは、語られたヨーダの言葉も含めて、おそらく今作の最高のシーン。そこの判断は大いに支持するところ。

 

ワープでの特攻

それをできるなら、みんなやれよ!と観客の全員が頭に浮かんだことを置いておけば、映画館で見るべき迫力かつ、想像をはるかに超えるビジュアル。アクションで言えば、今作最高のシーンではないだろうか。



はい。良いところは、以上。

続いて、よくなかったというか、酷評部分についてです。

 

今思えば、前作『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』のラストで、ルーク・スカイウォーカーが登場したシーンがこの映画のハイライト。オープニングロール、レジスタンスの惑星ディカーからの脱出作戦で、すでに今まで積み上げてきたスター・ウォーズの伝統を無視し、話が進むにつれ、全く手をつけられない状態に破壊した、ファンの心をボロボロにすること間違いなしの一作となっていた。その理由がどこにあるのかを書きます。



フォースの使い方を新しく作り過ぎ

監督はこの作品を通し、ある宣言を行っている。従来とは違うスター・ウォーズを見せるという声明である。

モチーフは、「007/スカイフォール」だろう。テーマを表現する為に、物語のリアリティが欠如し、アクションシーンが凡庸でも、受け入れてくれると予想したのかもしれない。しかし、『最後のジェダイ』とは違い、『スカイフォール』は007の伝統をおろそかにしていはいなかった。伝統を象徴するアイテムや、「ボンド、ジェームズ・ボンド」などのお決まりのセリフを登場させ、テーマと伝統のせめぎ合いの中で、上手くバランスを取っていた。『最後のジェダイ』では、ライアン・ジョンソンは伝統を自分が作るという間違った解釈と野心のお陰で、スター・ウォーズをぶち壊した。J.J.エイブラムスが懐古主義に走った反動だろうか?まあ、そんなことはどうでもいい。問題は、その壊し具合が半端ではないということだ。「フォースを知っている?」という疑問を彼にぶち込みたいレベルなのだ。

 

おかしいフォースの描写の数々

 

フォースを操れる、レイア

レイアが船から宇宙空間に投げ出され、戻ってくるシーン。歴代のジェダイ、シスが行なったことがないことが、フォースの修行を受けていないレイアができるのはどうだろうか。しかも『ファントム・メナス』で、クワイ=ガン・ジンとオビ=ワンが水中に入るときに息をするための道具?を口につけて潜っていたのに、お構いなし。過去作はみていますか?どうでもいいシーンだからこそ、しっかり作って欲しい。

 

ルークの分身

終盤のルークVSカイロ・レンとの戦いで、ルークの分身だったというオチについてだが、ヨーダやオビ=ワンが霊体などで登場をしているが、むしろ彼らでも霊体レベルなのに、ルークが分身できるのも理由がわからない。ライトセーバーを交えない戦い方には意味が合った!とか、どうでもいい部分を細く演出する。意味不明。



新フォースの使い方バブルにより、スターウォーズ自体が、SFバトル漫画状態に見えてしまう。驚く技を出せば勝負がつく描写はジャンプに任せて、スターウォーズにはスターウォーズにしかできない描写をしてもらいたい。

つまりどのような描写にもフォースの使い方をプラスしても構わないのだが、過去作とのバランスだったり、使い方を習得した経緯などが、全く描かれていないので、拒否反応を示してしまうのだ。例えば、隠居生活の理由が、フォースの根源を学ぶことができる島で、フォースの研究をしていた、などの理由でも作れば納得できないこともないのだが、それもなく、こんなフォースの使い方を考えましたよーと言ったアイデアの披露会(しかもドヤ顔で!)になってしまっているのが問題なのだ。フォースはバランスが重要だし、映画もバランスが重要。



意味のないストーリー

今回のメインはレジスタンスの脱出作戦となるだろう。広大な宇宙空間の真ん中で、銀河をかけた戦いにしてはスケールがとても小さい。どうにかファースト・オーダーから逃げるために、色々策を講じるが、全く意味がないものが多い。少し考えれば、その行動は取らないことがわかるのだ。もうちょい情報をくれれば、回避できる展開で無理矢理引き延ばしている。レイアなどのレジスタンスのリーダーが、説明してくれれば、放棄された基地がある惑星に向かっていることを伝えてくれれば、フィンたちは脱出不能レジスタンスの船から、脱出しコードブレイカーを探して、敵母艦に乗り込み、捕まるという壮大な冒険をしなくて良かったわけだ。しかも基地に到着しても大した武器もなく、援軍もない状況なら、はじめっからワープ特攻すれば、良かったなど、いくつもの疑問点が次から次に出てくるので、たまったもんじゃない。正直、そんな小手先のアイデアで、2時間32分という長尺を乗り切ろうとするなんて観客をバカにしている。使えない上司を見てげんなりし、しかも、そんな上司に振り回され、自分がバカに見える、そんな感じだ。フィンもレジスタンスも観客も災難である。



スター・ウォーズの世界を壊した大罪

スターウォーズの世界では多種多様の宇宙人、ロボットが登場する。ハン・ソロの隣にはチューバッカが、ルークの隣には、R2-D2がいるし、R2-D2とコンビを組むのは、違う種類のロボットである、C-3POだ。タトゥイーンのバーでは、宇宙人がジャズを引き、あらゆる種類の宇宙人のワルが集まっている。カオスな世界だが、違和感がない。これがスターウォーズの世界である。

今回フィンとコンビを組むのは、初登場のローズ。意味のないミッションを二人で挑むが、最終的には、ラブロマンスへと発展する。正直、必要なパートではないが、ローズを登場させた意図はわかる。レジスタンスとファーストオーダーの抗争も、ジェダイもシスもフォースも出てこない。これまでのスターウォーズには登場しない人々にスポットを当てるためだ。その普通の人々をフィン、そして観客に掲示する。その案内役としては、ローズは適任だろう。

これまで見てきたスターウォーズサーガの裏の人々を登場させた点は画期的な事だというのは理解できるが、正直それはスピンオフの役割だと思う。問題は、ストーリーの退屈さと監督の無能さによってフィンとローズのコンビにものすごい違和感を感じることだ。イウォークが出てきた時の違和感とは別の、かつてのスターウォーズシリーズの中ではなかったことである。その違和感は、映画の外の事情が透けて見えてしまっているからだと想像する。大人の事情というやつだ。その事情を包み隠さずにスターウォーズに持ってきて、世界観を壊した。それは、大きな罪である。他にも、全く活躍しないポーグなど、グッズ販売ぐらいしか意味を見出せないキャラクターを登場させるなど、いい加減にして欲しい。そんなスターウォーズは見たくなった。



その他には、ポーに役割を与えすぎということがある。その代わりにフィンの扱いがヒドいい。おそらく、ストームトルーパーの脱走兵である、フィンの価値がわからないのだろう、ただのギャグキャラに見事な格下げをされている。そもそもスターウォーズで、ギャグを狙うこともかつてなかったと思うが、そこも製作陣が、スターウォーズの世界を理解していたのかが疑問に残る。



せっかくの素晴らしいビジュアルも、登場人物の配置、意味不明な行動などをはじめとする「???」と、それを監督がドヤ顔で映画制作を行なったことにより、スクリーン上にチラチラとその顔がちらついて、全く集中できない。劇場で、席を蹴ってくる後ろの席の奴以上に迷惑。かつ、監督・演出家失格である。だが、攻めの姿勢で作品を作りきったことに関しては評価したい。旧三部作もプリクエルも全て批判もある中、攻めの姿勢でシリーズの歴史を作り、今尚愛されるメガシリーズなっていったからだ。だからこそ、ジョージ・ルーカスが作り上げた世界をリクペクトし、壊さずに『最後のジェダイ』を作り上げるべきだった。レイを主人公とするディズニー版3部作終了後に、また新たな3部作をライアン・ジョンソンがやるそうだが、全く期待はしていない。少なくとも『最後のジェダイ』の世界観を基準にしたシリーズにしないことだけを願う。そして、とんでもなく大きな宿題を残されてしまった、J.J.エイブラムスはエピソード9で、決して守りに入らず、全てのスター・ウォーズ作品を超える一作で風呂敷を畳んで欲しいと節に願う。